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香港の南端で鶏になった

  • Noema Noesis
  • 2020年7月10日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年7月12日

 ブラウン管の前にいた6歳の僕は、熱さまシートを貼りながら夢中になるほどゲームが好きだった。

 その頃は、『シェンムー』というアドベンチャーゲームにはまっていた。1998年に発売されたソフトで、徹底したリアルの追求が話題になった。

 細部まで作りこんでいるのが特徴である。探索は冷蔵庫の中まで確認できるのはもちろんのこと、モブのキャラクタ一人ひとりに声や生活パターンが与えられていたり、舞台になった横須賀の1986年当時の天候を再現していたりと、仮想世界でありながらも人間の生み出す臭気や呼吸が伝わる作品だった。

 シェンムーの世界ではラーメンがのびるとまで揶揄された。今でこそオープンワールドのゲームは当たり前だが、ゲーム史に残る技術が詰め込まれていた。

 2001年に『シェンムー2』が発売される。舞台は香港で、前作以上に人の往来が増えていた。(総計は1000人だったそうだ)

 まだ知らぬ海外の憧憬に見とれた僕は、大人になったら必ず香港に行ってやると心に誓っていた。


(シェンムーの写真は著作権により割愛)


 26歳になり、汗ばむ陽気が続く7月末に縁あって香港へ行く機会があった。行く場所は決めていて、『シェンムー2』の始まりの地「香港仔(アバディーン)」、香港島南端の港町だ。

 ゲームでの人の喧騒を夢見て探索した。視界に写る人は、港沿いを海パン一丁でランニングするおじいちゃん、休憩所にある象棋(シャンチー)の対戦場で独り唸るおじいちゃん、舟の上でじっと棹の動きを見つめる釣り師のおじいちゃん。犬の散歩をするおばあちゃんに出合って感動したのは生涯初めてだった。




 お腹も空いて近くの食堂へ行った時だった。ゲームで見た鶏肉の料理がとにかく美味しそうだったので、鶏肉のランチを注文した。

 店員さんは困惑した表情を浮かべる。この地域では英語が通じなかった。漢字を書けば大丈夫だ、そう閃いてメモ帳に「鶏肉」と書く。店員さんの目が泳ぎ始めた。

 英語も漢字もダメ。僕は腹をくくってジェスチャーで鶏の真似をした。羽ばたいていた。

 笑顔になった店員さんは必死の道化を理解してれたようで、目の前に鶏肉料理が現れたときはホッとした。受け取りから片付けまで丁寧に教えてくれて、言っていることは何一つ理解できなかったが優しい方だった。


 舌鼓を打ったあと、空港行きのバス停へ向かうべく地下道を通った。地下道の空気は冷え切っており、無味乾燥としていた。壁中は政府を非難するチラシで埋め尽くされていた。







 衝撃だった。胃が痛い。地上で繰り広げられている当たり前の日常との対比が胸に刺さっている。これらのチラシは外ではほとんど見かけなかった。僕は香港の血生臭さに畏敬の念を抱いた。


 僕が帰国した3日後に激しいデモが起こった。

 地下道での出来事から、香港でのデモのニュースが他人事に思えなくなってしまった。

 デモが始まって一年以上経った今も、コロナ禍の中で香港は中国の政府と戦い続けている。


 僕は日本を誇りに思っているだろうか。

 スマートフォンの前にいる僕は言葉の通じない鶏だった。


文: ドクター新井

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