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日常の言葉とその向こうの世界を繋ぐ触媒としての穂村弘

  • Noema Noesis
  • 2020年6月23日
  • 読了時間: 3分

おにぎり


サンドイッチ


タラコおにぎり


ホットケーキにメイプルシロップ


勿論ただの食べ物だがこの組み合わせに意味がある。食べあわせの良し悪しではなく字面として。穂村弘の『メイプルシロップ』という詩に出てくる食べ物だ。個人的にはこの詩には思い入れが無い。


この詩がNHK全国学校音楽コンクールのために作られ、高校生の課題曲として歌われたのは僕が大学を卒業したすぐ後だった。僕が大学の時に所属していた合唱団は課題曲の初演を担当していたのでその年に大学に在籍していたら僕は歌う機会があった。そんなことを知るわけもなく卒業してしまったので憧れた穂村弘の詩を歌い損ねた。


『絶叫委員会』というエッセイ集が穂村弘の書籍との出会いだった。今まで歌人の書くものに触れてこなかったせいもあり圧倒された。普通に生きていた大学生の僕と言葉や世界に対する解像度があまりにも違った。高田馬場の本屋で買って西武線の中で夢中で読んで一気に憑りつかれた。



この本は穂村は生活の中で見つけた印象的な言葉をテーマにしたエッセイで構成されている。現代短歌の旗手と言っても過言でない(正直あまり短歌は知らないけど)作者が「印象的」と云うくらいなので普通の人の言う「印象的」とは次元が違う。「いう」を云うと書き分けてしまうくらい違う。普通の人が流してしまう日常の些細な一言ですら穂村のフィルターを通すと違う風景が見えてくる。


美容室で髪を洗ってもらうときに「かゆいところはございませんか」と聞かれるのはいつもの風景だろう。穂村はココにも引っかかる。



「都合よく名前付きの箇所(コメカミとかトーチョーブとか)がかゆくなるとは限らない。地図みたいに「Bの6」とか云えるといいのだが、残念ながら頭皮には座標がない。」(「美容室にて」)


頭皮には座標がないなんて当たり前じゃないですかそんなの。かゆいところが無いか聞かれるような、当たり前すぎて通り過ぎる言葉をひとつひとつ手に取り驚きながら吟味している姿がいちいちコミカルで、且つはっとさせられる。普段の言葉の一歩奥には豊かな世界が広がっていることを穂村は気づかせてくれた。


ここまで書いていて、自分でも驚くほどこの文章にまったく納得できていない。焦りさえ覚えている。本当は穂村弘と山田航共著のの『世界中が夕焼け』という穂村弘の短歌を山田と穂村が解説していく本を紹介するつもりで書き始めたからだ。流れに任せて書いていたら『絶叫委員会』を勧めている。なぜだ。



この本のなかには「出だしの魔」というエッセイがある。第一声が上手くいかなくてスピーチやパフォーマンスが不格好になってしまうことを第一声に噛みつく魔物としてたとえたエッセイだ。今僕が書いているこの文章もヤツにに噛みつかれたのかもしれない。それと奥付を見て今気づいたことがある。僕が持っている絶叫委員会は二刷りだ。一刷りだろうと二刷りだろうと中身は変わらず(当たり前)面白いのに一つまみの敗北感を覚える。



オマケ:

その後発売されたエッセイのサイン会で本人と話す機会があり、詩が歌われるとこうも印象が変わるのかと凄い体験だったと云っていた。メイプルシロップ歌いたかったなあ。


文:橋本(団長、縮めてだんち)


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