新世紀エヴァンゲリオン
- Noema Noesis
- 2020年8月14日
- 読了時間: 3分
日本のアニメ文化は世界中で愛されるほどクオリティが高いが、その中でも社会現象を巻き起こしたアニメは数多くある。ガンダム、ドラゴンボール、セーラームーン、スラムダンク、ポケモン、けものフレンズ、鬼滅の刃etc.
その中でもベタ過ぎてもはや紹介する必要あるのかと思ってしまうが、あえて紹介したいのは心を掴んで離さない作品である「新世紀エヴァンゲリオン」について。

いわゆるSFアニメの一種でざっくり言うと、
・大きな爆発で人類の半数が死んでしまった世界
・主人公の少年(碇シンジ)が仲間と共に巨大ロボに乗って人類の敵と戦う
といったストーリー。
テレビアニメ版、漫画版、旧劇場版、それらを再構築した新劇場版。四半世紀に渡って多くのメディア展開がされている。
この作品は、ただのロボットアニメではなく、いわゆる自らの厨二病を絶妙にくすぐってくる要素が随所に散りばめられている。
パッと目を引く極太の明朝体フォント。ベートーヴェンやヘンデル、メンデルスゾーンやバッハといったクラシック音楽をBGMに使用するといった、当時のアニメとしては斬新な演出。
シンジ達が乗るエヴァンゲリオンの見た目は巨大なロボットに見えるが、実は装甲をまとった人造人間だったり、普段暮らしている街の下に広大な基地が広がっていたり。アダムやリリスといった使徒と呼ばれる謎の敵性生命体が次々と執拗に襲ってきたり。ゼーレという秘密結社が裏で「人類補完計画」という謎めいた計画を進めていたり。
登場人物の内面にスポットが当たり、それぞれが抱える孤独や無力感、どうしようも無い人間の性・本能が露わになっていく過程等のダークな展開。

個性的なキャラクター達(主に美少女)の掛け合いや有名すぎるOP曲(残酷な天使のテーゼ)等数多くの魅力がある。
しかし自分が惹かれてしまう1番の理由は、ストーリーの全貌を明らかにしないところにある。初めてアニメを観た時、先述した世界観に生物学・心理学・宗教的な専門用語(ロンギヌスの槍、死海文書など、カッコつけてちょっと声に出して読みたくなるような)を伏線として散りばめ、含みを持たせた展開に自らの妄想がかき立てられて、ビデオで見た中学生の自分はとてもワクワクしたのを覚えている。
アニメ終盤の展開は衝撃的過ぎて、「訳が分からない」「何がしたかったのか」と言われることも多いが、その展開によって色々な人達が考察し、各々が自由に物語を補完していける余地があるとも言える。自分も語るほど大好きだが実はよく分かっていない部分も多い。作中でサモトラケのニケに似た像が出てくるシーンがあるが、そのような不完全さ・自由さを象徴していたのではないかと思う。

最新作である「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の2020年公開が発表された。
いつ公開するのかとやきもきしたり、制作進んでるのかなと思ってたら監督は全く別の作品作ってたり。でもめちゃくちゃ面白かった、シン・ゴジラ。
社会人1年目の秋、会社の同期と仕事終わりにワクワクしながら観に行った新劇場版三作目のQから数年。(歳がバレる。)
またしても誰もが想像つかないような超展開で、観終わってからお互い?の顔を浮かべたところで既に2人とも制作者にしてやられていたのだと思う。
長々と書いたが結局何が言いたかったのかというと、続編めちゃくちゃ楽しみに待ってたし生きてて良かった。レイかアスカどちらかと言われたら断然アスカ派。
文:山本(エヴァQは2012年公開)
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